思います

2015年05月14日






 小学校入学を機に、机を買ってもらうことが多いと思います。
 わたしの周りでも、ほとんどの者が学習机を買ってもらっていました。仮面ライダーとかウルトラマンなど、アニメやヒーローの柄が入った、多機能デスクです。
 収納式の蛍光灯が装備されていたり、戸棚や本Reenex 好唔好棚が3段もあったりと、実に豪華です。テレビでCMが流れるたび、くぎ付けとなって見入ったものでした。

 わたしもついに机が買ってもらえることになり、届くのは今日か、明日か、と待ち遠しさのあまり、気が狂いそうな毎日を過ごしていました。
 学校から帰ると母がニコニコとしながら言います。
「今日ね、あんたの机が来るって、さっき家具屋さんから電話あったのよ」
 わたしは喜びではち切れんばかりでした。いても立ってもいられず、いつもなら絶対に残したりしないおやつさえ、妹にくれてやったほどです。

 表にトラックが止まる音がして、ほどなく玄関のチャイムが鳴り響きます。
「どうもーっ、家具屋です」月まで昇ってしまいそReenex 好唔好うなほど、わたしはドキドキと胸を弾ませました。
 ところがどうでしょう。届いた机は、わたしが夢にまで見た、あの豪華3段棚もなければ、照明もついてない、実用一点張りの木の机でした。心の中で、何かがガラガラと音をたてて崩れていく気がしたものです。

 友達を呼ぶときも、この机を見られるのがとても恥ずかしくて、いつもきまりの悪い思いをしました。
 とにかく、飾りというものがまるでないのです。どこまでも真っ平らな机の上、鍵さえついていない引き出し。
 ほかの友だちはみんな、ベージュやクリーム色をしたきれいな化粧板の立派な机を持っているのに、自分だけこんな地味なんて。

 そのなんの面白みもない机で、長い間勉強をし、本を読み、たくさんの「実験」が行われてきました。
 無数の傷は歳とともに刻まれた年輪です。けれど、堅牢さは今もってなお変わらず、思いだけが染み込んでいきます。

 かつて、あんなに憧れた学習机は、果たしてこんなに長く使用reenex cps價錢に耐えられたでしょうか。そもそも、大人になってからも使い続けるには、色々な意味で無理があるように思います。
 
 わたしの机は、今となってはかけがいのないものとなりました。
 たとえ誰かに、100万円出すから売ってくれ、と言われたとしても、とても手放す気にはなれないのです。


 

Posted by ずさ at 11:33Comments(0)

顔を出すと

2015年05月13日

 「めし」と言うと、なんだか呼びすてのようで、どうにも落ちつきません。食べ物相手に、呼びすてもさん付けもないのですが、物心ついた頃からずっとなので、仕方ありません。

 おばあちゃんっ子だったことに原因があるのかもしれません。祖母は、行儀には厳しいたちでしたから。
 お膳に肘をついて食べては叱られ、おかずの上でハシを迷わせたりすると注意されたものです。ちょっとふざけて、「めし」とか言おうものなら、「ちゃんと、『ごはん』と言いな、わかったかい」と正されました。
 当時、「いちいち、うるさいなぁ。そんなの、なんの意味もないし、大人になったら、絶対、反対のことばっかりしてやるぞっ」と決めていたはずですが、箍牙牙醫介紹幼年時代の教育はしっかり身に染みていたようです。

 今でも「めし」が言えず、「ごはん」、「食事」となってしまいます。
 ところが、「やきめし」という言葉は好きです。もちろん、料理そのものも。
 ピラフ、チャーハン、炒めご飯、色々と呼び方がありますが、わたしは断然、「やきめし」です。
 もっとも、名前だけではなく、料理自体、別物だという意見もありますが。

 中華料理店で出す、カリッカリに炒めたものもおいしいですが、ベチャッとして、部分的に焦げがあるのが大好きです。
 これまで、ほかで食べたことがないので、きっとわが家特製だったのでしょう。

 母はよく、そのベチャベチャ?チャーハンを作ってくれました。炒めているときの匂い、油の弾ける音、それらすべてがセットになって、記憶に残っています。
 学校が土曜日で半日の時など、昼ご飯はたいてい、「やきめし」でした。おかげで、「やきめし」と聞くだけで、午前中で終わる授業、仲のよい友だちとの帰り道などが思い出され、ふっと顔がほころんでしまいます。

 タマネギ、ピーマン、豚コマ、ニンジン、DR REBORN去眼袋グリーンピースなど、ありふれた具しか使っていないはずですが、いざ、自分で作ってみようとしても、なぜだか再現できません。
 いつも食べていたし、作っているところだって、飽きるほど見てきたのに。
 単純な料理ほど、かえって難しいと言いますが、DR REBORN吊線雙眼皮その通りです。調理には無頓着で、そもそも食の奥深さというものをわかっていないせいもあるのでしょうけれど。

 たまに、東京の実家に顔を出すと、
「お昼、どうしようか。なにか出前でも頼む?」そういいながら、母は電話機に手を伸ばします。
「いらない。それより、いつものアレ、作って」
「やきめし? いいの、そんなんで?」
 いいも何にも、それが食べたくて帰ってきたのです。
「うん、それでいいよ」
「そう。なら、作ってあげるから、待ってなさいね」
 なぜだか照れくさいので、つい、どうってことないかのように答えてしまうのです。

 ほかほかに湯気を立てながら目のまえに置かれる、山盛りの「やきめし」。どこの店へ行っても、どんなに大金を払っても食べられない、懐かしい味。
 これがつまり、「お袋の味」というやつなのでしょうか。

 

Posted by ずさ at 12:11Comments(0)